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日本語じゃ言えない──スペインに託すOSS

このプロジェクトについて語るとき、私の中ではいつも、あるスペイン語のことわざが先に浮かびます。

“Donde hubo fuego, cenizas quedan.”

──いったん燃え上がった想いは、たとえ終わっても、その灼がれがどこかに残っている。

スペイン語には、こうした情熱的で、未絎すらも肯定するような表現がごく自然に存在しています。 それは、bitBuyerプロジェクトのように、記憶や感情が出発点にあるOSSを語るときに、どこかしっくりくるものがあります。

2023年に始まった私のこのプロジェクトは、技術的な挑戦であると同時に、極めて個人的な想いの結晶でもありました。 それをどう表現するか。誰かに伝えるとき、どう語るか。

──そのとき、私は日本語に一度、つまずきました。

日本語はとても美しい言語です。細やかで、余白に満ちていて、語らないことで語れる強さがあります。 でも同時に、それは「語らないことへの美学」でもあります。

たとえば、失恋や報われない想いについて語るとき、日本語では「未絎」という言葉が先に立ちます。 後ろ向きで、執着しているように見える。治らしくない、とされることすらある。

ですが、スペイン語圏──特にスペインでは、そうではありません。

「想い続けること」は恥ずかしいことではなく、ロマンチックで、人間的で、時に美しいとさえされます。 “Donde hubo fuego, cenizas quedan.” はその象徴ですし、ラテン音楽の歌詞にも 「たとえ戻らなくても、あなたを待ち続ける」「君がいなくなっても、心の中にいる」といった表現があふれています。

それは、“未絎” ではなく、“情熱” として扱われるのです。

SNSを見ても、失恋や片思いをあけすけに語る投稿が少なくありません。 悲しみや想いを共有することが、時に他者の癒しにもなる。 実際にスペインのある町では、バレンタインに「愛」や「失恋」をテーマにしたツイートや手紙のコンクールが行われています。──失恋すらも、文化として昇華されているのです。

この文化圏に触れたとき、私は「ここなら語れる」と思いました。 たとえ可当な想いであっても、たとえ戻ってこない何かであっても 「それでも伝えたい」「思い続ける価値がある」と言っていい言語と、それを支える文化。

bitBuyerプロジェクトの背景にある、個人的な記憶や感情──日本語で語るには、すこしだけ勇気が要りすぎました。

でも、スペイン語なら、自然に網れたのです。 それは、スペイン語の方が優れているという話ではありません。

日本語では書けないことがある。 スペイン語では書けることがある。

ただそれだけのこと。

OSSという言葉の凍たさを、温もりのある物語として届けたいと願ったとき、 私の中では迷いなく、スペイン語がその器となりました。

私にとってこの言語は、技術を超えて、感情を語るための必然だったのです。

このプロジェクトの本当のはじまりについては、スペイン語でだけ語ることができた──そう思っています。それが『Lo que no le conté a nadie… hasta hoy.』という記事になりました。

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